「リハビリなのに野球が楽しくなった」 復帰して見えた新たな”楽しさ”
7月8日、ホークス3軍と四国アイランドリーグ・愛媛の定期戦がタマスタ筑後で行われました。
この一戦の6回に2番手としてマウンドに上がったのは、育成3年目の内野海斗投手。2回を投げ、2安打無失点。ピンチを背負う場面もありましたが、粘り強く投げ抜きました。マウンドに上がる時も、抑えた時も、笑顔が光りました。

というのも、この内野投手。長い長いリハビリ生活を終えて、ようやくたどり着いたマウンドでした。この日が復帰3戦目。本拠地・タマスタ筑後で投げるのは、プロ1年目の9月以来です。
2022年育成ドラフト4巡目指名を受けて、武田高校からホークスに入団した右腕は福岡県福岡市出身。中学までは捕手で、ポニーリーグ日本代表としてもプレーしました。それでも、高校からは投手として挑戦。広島の武田高校に進学し、最速147キロの本格派右腕に成長しました。
ホークスに入団してすぐの春季キャンプで、打者相手に投げる姿からも、その経験の浅さは感じられず、総合力が高くまとまった印象を受けたのを覚えています。1年目は3軍で登板を重ねていきました。
しかし、2年目の春に腰椎分離症を発症。腰は3か月ほどで治りましたが、リハビリ過程で右肩を痛め、長いリハビリ生活を送ることに。「何をしても上手くいかない時期もありました」と振り返ります。
一進一退を繰り返しながら、ようやくたどり着いた復帰戦のマウンドは、6月21日の九州アジアリーグ・大分との4軍戦(別大興産スタジアム)でした。7回に4番手として登板すると、1回1安打無失点。無事に復帰戦を飾りました。




実に「613日ぶりのマウンドでした」と自ら口にしたその数字。「森笠(繁4軍打撃)コーチに言われて、調べました」とニッコリ笑いましたが、投げられなかった時間の長さを改めて感じます。
「去年、復帰できそうでできないっていうのが続いたので、メンタル的にはしんどかったです。でも、リハビリ組の皆さん、特に森山さん(良二リハビリ担当コーチ)の存在が大きかったです」と感謝を込めました。森山コーチは「落ち込まずにやれよ」と常に鼓舞してくれたそうです。
また、同時期にリハビリ組で過ごした先輩たちの存在にも感謝していました。「上茶谷(大河)さんは大きかったですね。いつも盛り上げてくれて。長谷川(威展)さんも澤柳(亮太郎)さんも濱口(遥大)さんも武田(翔太)さんも……」とたくさんの名前が出てきました。
上茶谷投手がリハビリ組に居る時には、異例の”練習前の円陣”で毎日気合いを入れてくれました。森山コーチも「リハビリ来たからって『暗い顔をしていても治らんぞ』って日頃から言ってきたけど、彼みたいなのが来たら助かるよね。昔から笑いの治癒力とかって言うし」と常に盛り上げてくれるエンターテイナー・上茶谷投手に感謝していました。
また、長谷川投手はグッズショップで内野投手の応援タオルを買ってきてくれたり(笑)イジられたり、励まされたり、先輩たちの明るいキャラクターや優しい声掛けに日頃から助けられたようです。リハビリ組を卒業する時も、威勢よく送り出されていました。「本当は、気持ちの浮き沈みがある方なんですけど、先輩たちのお陰でリハビリなのに野球が楽しくなった」と内野投手。本来だともっと苦しんでいたであろう時間を笑顔で振り返りました。
「復帰できたので、今はまた違う楽しさがあります。ずっと投げられていなかったので、今は試合で投げても投げなくても、『野球してるなぁ』ってなって楽しいんです」と充実感に満ちていました。
高卒1年目に150キロをマークしていたものの、肩を痛めた影響で、この日は最速144キロ。変化球を駆使しながら打者を封じましたが、本人としては物足りなさも感じています。「まだまだです。でも、だんだん良くなってきたので、ここから上げていきます」と力強く頷きました。
斉藤和巳3軍監督からは「俺は引退する前、6年くらい投げられなかったぞ」と聞いて、内野投手はハッとしました。斉藤3軍監督は現役時代、右肩を2度手術。2007年のクライマックスシリーズを最後に6シーズン登板なく、長いリハビリを続けてきました。リハビリ担当コーチの肩書きで現役復帰を目指しましたが、無念の引退となった指揮官からの言葉は胸に染みました。
まだ3年目の20歳。たしかにリハビリ生活は長かったし、プロ野球という厳しい世界で悠長なことは言っていられないけれど、まだまだ始まったばかり。「まずは怪我なく最後まで投げ続けたい」と力強く語りました。リハビリを経て、怪我をする前よりも明るくなったように感じる内野投手。野球を思いっきり楽しみながら、支配下登録を目指して…。内野投手の再出発を応援しています。