福岡ソフトバンクホークスでの6年間を、全力で駆け抜けた勝連大稀選手は、新たなステージへ挑戦することを決めました。
10月7日、ホークスから来季の契約を結ばないことを告げられた勝連選手。2019年の育成ドラフトで4位指名を受け、沖縄・興南高校からプロ入りしました。1年目からウエスタン・リーグに出場し、堅実な内野守備には早くから定評がありました。また、周囲を明るく照らす人柄でみんなに愛され、育成では異例ともいえる6シーズンを過ごしました。そんな勝連選手が今オフ、とうとうホークスを去ることになりました。
当初は現役続行を視野に入れ、次の道を模索していました。しかし、勝連選手の決断は、新たな舞台への挑戦でした。
「東京で働くことになりました」
進路報告をしてくれた勝連選手の表情は清々しいものでした。就職先は、野球ともホークスとも関係はなく、ご縁があって声を掛けてくれた東京の企業でした。社長もホークスでの勝連選手の姿を記事等を通して知ってくれていたそうで、「人柄も含め、プロの世界でやってきたことをうちでも生かして欲しい」と歓迎されたといいます。

野球と自分のこれから
複数の社会人野球チームからも声が掛かり、熱心に好条件で誘ってくれるチームもありました。「オファーが来るということは、見てくれていたということだと思うので、頑張ってきて良かった」と感謝しましたが、勝連選手は悩んだ末に全ての誘いを辞退させて頂くことに。
それは、「結婚もしたし、その土地に永住する可能性もあるし、奥さんの生活も考えました」と今年結婚した伴侶を思っての決断でもありました。
しかし、妻は「私のことを考えて、それに左右されてない?独身だったらどうしてた?」と心配したといいます。勝連選手は、決して妥協したわけではありません。「自分は奥さんと結婚する道を選んだので」と大切な存在と歩む人生に胸を張ります。
ただ、今も野球が好きな気持ちは変わりません。会社勤めをしながら、「Again Baseball Club」というクラブチームで野球を続けられることになりました。「クラブ選手権を勝ち抜けば、都市対抗野球大会に繋がると聞いたので。そこを目指してやれたらいいな」と新たな野球の目標も出来ました。今までのように四六時中、野球漬けの生活ではなくなりますが、「野球も仕事も存分に出来る、いい選択が出来ました」と頷きました。

トライアウトは早々に受けない決断をしました。お世話になったコーチ陣にも「本当にいいのか?トライアウトに出たら他球団も見てくれるし、道は広がるぞ」と声を掛けられ、球団や選手会からも受験を促されましたが、勝連選手は自らの意思で受けませんでした。
内野手の後輩、川原田純平選手がトライアウトから巨人育成入団が決まったニュースを見た時、「『受けとけば良かった』とか全然思わなかったので、自分の中で今の選択に納得していたのかなと改めて思えました」と悔いはありませんでした。
むしろ、今は新たなスタートにワクワクしています。
「自分は楽しみの方が大きくて。周りから見たら、野球とは違う道に進んだと思われるかもしれませんが、プロ野球の世界みたいに、自分の頑張り次第でステップアップ出来る会社なので。良い選手になろうと頑張るのと同じように、手に職をつけて、その世界で必要とされる人間になりたい」

「ずっと楽しかった」勝連の人柄を表す野球との向き合い方
ホークスでの6年間を振り返ると、たくさんの思い出があります。1年目に2軍でプロ初安打を本塁打で飾ったことも忘れられない出来事でした。「プロの世界での初安打だったので、嬉しかったですね。最初、全然打球が飛ばなかったので、ホームランなんて打てると思っていませんでした。みんなもビックリしていたけど、自分が1番ビックリしましたよ」と笑って振り返ります。
どんな時も真っ直ぐ野球に向き合ってきた勝連選手。
「特に4年目以降は、『戦力外になったらどうしよう』というのは毎年覚悟していました」と常に危機感はありました。
内野手に怪我人が相次いだ2023年は2軍で猛アピールし、当時の小久保裕紀2軍監督からも厚い信頼を寄せられました。昨季は”最後の支配下候補”と囁かれながら、球団はジーター・ダウンズ選手を獲得し、叶いませんでした。“便利屋”として2軍と3軍を行ったり来たりすることも多くありました。育成で6年間、というのは球団が期待し続けた証でもありますが、精神的には難しいことも多かったのではないかと感じます。しかし、勝連選手は言いました。
「気持ち的にキツいとかはなかったです。野球はずっと楽しかったです」
どんなにチャンスが巡って来なくても、上手くいかなくても、大好きな野球を最後まで全力で楽しんだ勝連選手。野球との向き合い方こそ、彼の人間性を表していたのではないでしょうか。

ホークスを離れて、改めて気付いたことがありました。
「本当に周りの人に恵まれていたことを知りました。『スタッフにならないか』とか、『もしダメだったら帰ってきたらいいやん』『何かあったらいつでも連絡してこい』と球団関係者にたくさん声を掛けてもらって。ホークスにいて良かった。それが1番嬉しかったです」
人に恵まれたのも、間違いなく勝連選手の人柄あってのこと。中でも、3軍監督としてお世話になった斉藤和巳監督は「ずっと心配してくれていました」と感謝する一人。進路が決まったことを報告すると、「野球も仕事も全力で出来る、かっちゃんに合ってるやん」と喜んでくれたそうです。
温かいファンにも恵まれた6年間でした。「たくさんの方が応援してくれていたことを改めて感じました。自分が好きな野球をしているのを、たくさんの人に応援してもらって、プロ野球選手は幸せですね。一人ひとりにお礼を言うのは難しいけど、一人ひとりにお礼を言いたいくらい。期待には応えられなかったかもしれないけど、先のステップでも安否確認程度に、気にかけて貰えたら嬉しいです」と感謝しました。

「何もしてないのに得してるね」
妻にそう言われたことがありました。自分では無意識でしたが、常に笑って生きてきたところが勝連選手の長所でした。
沖縄の方言で「なんくるないさー」と笑う勝連選手が印象的でした。すると、「『なんくるないさー』の本当の意味知ってますか?」と興味深い話をしてくれました。
「本来は『まくとぅそーけーなんくるないさー』って言うんですよ」
その意味は、人として正しい行いをして、誠実に努力をすれば、いつかきっと道は開ける──。楽観的な物事の捉え方のような意味で広く知られた「なんくるないさー」。本来の意味を知ると、より勝連選手にピッタリだなと感じました。
「この言葉を胸に生きていきたい」
勝連選手らしい笑顔で、締め括りました。新たなステージでも、たくさんの人に愛されることでしょう。これからも笑顔で真っ直ぐに『まくとぅそーけーなんくるないさー』。
