2026年1月3日──。
生海選手の人生を大きく変えたあの日から、丸2年が経ちました。
振り返ることさえ、ためらいたくなるような大事故でした。様々な思いを抱きながらも、この日を1つの節目にしようと、生海選手は大きな一歩を踏み出したのです。
「3日、行ってきましたよ」
生海選手が清々しい表情で報告してくれました。「嫌な思い出だったので、それを払拭するために練習に行こうと思いました」と勇気を持って、”事故現場”へ足を運んだというのです。
選手生命を脅かされた2年前の事故
2024年1月3日。
生海選手はプロ2年目の飛躍を目指して、球団施設内で自主練を行っていました。そこで、左頬に打球が直撃する事故に遭った生海選手。患部の形成手術を行い、その後「左側頭葉脳挫傷」と診断されました。幸い、命に別状はありませんでしたが、選手生命を脅かされる衝撃的な事故でした。
以降、壮絶なリハビリ生活を送ってきた生海選手。退院後も、脳挫傷の後遺症が残り、頭痛や吐き気、精神不安定などの症状に悩まされました。不自由なく生活することさえままならない日々を過ごしてきました。昨季から育成契約となり、じっくりと復帰を目指し、大事にステップを踏んできました。
そして、昨年5月、1年4か月ぶりに4軍戦で実戦復帰することが出来ました。その後も、後遺症と付き合いながらではありますが、少しずつ出来ることも増えてきました。


勇気を持って乗り越えたい過去
そして、今月3日。2年越しの同じ日に、同じ場所へ生海選手は足を運びました。
「1人でバッティングしてきました。バッティングレーンが2つあるんですけど、あの時と同じところで打ちました。ここで(打球が)当たったんや、と思いましたね。ちょっと怖かったです。また当たるんやないかなと思ってしまいました」
正直、恐怖心は今も残っていました。そう簡単に消えるものではないはずです。それでも、前に進むために、勇気を持って、一歩踏み出したのです。
背中を押してくれたのは、いつも支えてくれる愛妻でした。
「自分はちょっと怖かったので、本当は行きたいと思わなかったけど、奥さんが『行った方がいいんじゃない?』って言うので。それで行きました」とニコッと笑みを浮かべました。
小学生の頃から互いを知る長い付き合いで、プロ1年目のオフに結婚した妻は、生海選手にとって非常に大きな存在です。これまで何度も野球を辞めようと思ったことがありましたが、いつの時も、思いとどまれたのは妻のお陰でした。
今回も「いなかったら、野球辞める判断をしていたと思います」という辛い出来事でしたが、背中を押され、支えられて、立ち上がることが出来ました。

“あの日”と同じように、その日は妻が運転する車で球団施設まで送ってもらいました。「そこまで再現しました」と生海夫婦は共に前に進みました。「またここからやるぞっていう気持ちを込めて」と辛い過去を乗り越えるための行動でした。
怖くて現場に足を運ぼうなんて思いもしなかった1年前から、身体のみならず、生海選手の心も確実に回復しています。

現在地とこれから
1年ほど前から徐々にバットを振れるようになり、昨年2月に屋外フリー打撃を再開。5月に実戦復帰し、体調をみながらではありましたが、遠征にも帯同しました。そして、10月のみずほPayPayドームでの3軍戦では、ルーキーイヤーぶりに本拠地のグラウンドに立ちました。打撃練習では、何本もスタンドインするなど、順調な回復ぶりとポテンシャルの高さを改めてみせてくれました。

シーズンオフも精力的にバットを振っています。激しい運動や緊張状態が続くと、体調を崩すこともありますが、以前より長い時間打てるようになりました。「だいぶ量も打つようにしています。体力つけるために。進んでます!これからも頑張ります!」と力強く語った生海選手。
2026年、大きなトラウマも壮絶なリハビリの日々も乗り越えて、再び1軍のグラウンドに立つために──。生海選手は前だけを見て、着実に一歩一歩、歩みを進めています。
