プロ1年目を終え、ひしひしと痛感したのは悔しさと焦りでした。
昨秋のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受けた村上泰斗投手。”未来のエース候補”として将来を期待された右腕。本人も現在地を理解し、まずはじっくり下地作りの1年を過ごすつもりでプロ生活をスタートさせました。
春先からトレーニングを重ねて、5月にプロ入り後初実戦。期待値の高まる素晴らしいデビュー戦でしたが、その後まさかの事態が訪れました。

6月下旬、村上投手の姿はリハビリ組に。右肘と腰を痛めたのです。「最初は立つのも寝転んでるのも痛かった」というほど腰は苦しい状況だったことを明かします。デビュー戦含む5試合(5イニング)を投げた後、急に痛みが走ったのだといいます。
プロ入り4か月ほどで「高校時代とは全然違う。平均球速も150キロくらいまで上がったし、常に1イニングなら安定して150キロ出るようになっていました」と自身の成長を実感していた村上投手。しかし、その出力に身体が追いついていなかったのです。
リハビリ期間は自分を見つめ直す時間にもなりました。腰痛の原因は胸郭周りのかたさ、肘痛はオーバーワークによるものだったことを知り、自身の限界や対処法を覚えました。これも経験として、多くのことを学んだ1年になりました。

「僕は柴田のハズレなので」 …意識する存在
全てを前向きに受け止めたはずでしたが、ルーキーイヤーを振り返って、思わず”本音”がこぼれました。
「今年のドラ1、高卒も全員、僕以外1軍で出ましたね。柴田(獅子)もデビューしましたもんね。それが1番悔しかったです。いろんな取材でも『悔しくない、焦りはない』と言ったけど、本当は悔しかった」
実は強烈に意識していたのが、北海道日本ハムファイターズのドラ1ルーキー・柴田獅子投手。福大大濠高から”二刀流”の評価を受けて入団した逸材です。村上投手が彼を意識するのは同学年だから、だけではありません。
「僕は柴田のハズレなので」
昨秋は両球団ともに宗山塁選手を1位指名するも、交渉権を得られず。2度目の入札も柴田投手で再び競合しました。ここでも、ホークスはくじを外し、3度目で指名されたのが村上投手でした。
福山龍太郎スカウトには、「ピッチャーとしての評価はお前の方が柴田より上だ。歴然の差がある。柴田はバッターとしての評価も含めての1位指名だったんだよ」と声を掛けられたといい、評価してもらったことに感謝しました。
ところが、柴田投手は7月に投手として1軍デビューを果たし、4試合に登板。ホークス戦では中継ぎとして複数イニングを投げ、プロ初ホールドもマークしました。その現実に、村上投手は「結果的にピッチャーとしても負けていたのか、と思いました。『俺は何してんねん』と思って悔しかった」と唇を噛みました。
シーズンを終え、フツフツと湧いてきた素直な思いでした。
初めての”戦力外”に覚えた危機感
さらに、1年目を終えて、強い危機感を覚えました。
「僕以外のドラ1は全員デビューしたけど、自分はまだこれからだと思っていました。でも、身近な方が戦力外という形になっていくのを見て、焦りが出てきました」
肌で感じたプロ野球の世界──。
お世話になった先輩たちもチームを去ることになりました。中でも、武田翔太投手は気にかけてくれた心強い存在でした。
ウエートルームから始まる村上投手の1日。そこでほぼ毎朝、顔を合わせていたのが武田投手でした。「6時半くらいですかね。武田さんの方が早い日もありましたし、戦力外の後も来ていました。1番いろいろ教えてもらいました」と感謝します。高卒1年目から1軍で活躍した先輩右腕は、”未来のエース候補”に惜しみなく助言を送ってくれました。
「最後、意味深なことを言われたんです。武田さんが『俺、居なくなるかもしれないから、気になることあれば今のうちに何でも言っておけよ!』って」
数日後、球団から武田投手の来季構想外が発表されました。
「心痛いじゃないですか。同じ生活して、一緒に練習してきた人たちが……」
プロに入って初めて目の当たりにした”戦力外”は18歳の純粋な心に突き刺さりました。

第2次戦力外通告では、プロで初めてバッテリーを組んだ加藤晴空捕手もチームを去ることに。
「ドラフトが終わった後、晴空さんが『俺クビになるかもしれん』って言ってて。『何でですか!?』って言ったら、『育成ドラ1がキャッチャーだから』って。そしたら数日後、スーツ姿の晴空さんがいて…。『行ってくるわ』って。悔しかったですね」
1年前は喜ぶ側だったドラフト会議。プロ野球選手になった今、立場が”逆”になったことにハッとしました。
「そこからすごく焦りも出てきて。こんな1年を過ごして、自分は何をやっているんだと。日本シリーズも優勝しましたし、一気に悔しさが押し寄せてきました」
もちろん、2軍公式戦さえ登板できずに終わったルーキーイヤーに悔しさはありますが、焦らず土台作りに専念した大事な1年でもありました。村上投手には村上投手のペースがあるのですから。
ただ、やはり同学年の選手の1軍デビュー、チームメイトの戦力外という現実を正面から突き付けられ、「1年目だから」と言っていられなくなったのも正直な思いでした。
「逆にこんな経験したのは今年のドラ1で僕だけなので」
悔しさ、焦り、情けなさ、全てを受け止め、前を向いた村上投手。プロ野球の厳しさと現実を知ったプロ1年目。心身ともに学んだことは数え切れません。
静かに抱いたたくさんの悔しさを胸に、きっと村上投手は強く逞しく這い上がっていくはずです。
