「THE LAST GAME 2025」──。
現役引退を決断したプロ野球選手のセレモニーを兼ねた“特別試合”が6日、北九州市民球場で行われました。
応援してくれたファンや支えてくれた家族に、最後の雄姿を見せる場所として、スカイA主催、日本プロ野球OBクラブ、日本プロ野球選手会の協力の下で開催されました。
4回目を迎えた「THE LAST GAME」。今年は23選手が出場しました。「EAST HOPES」と「WEST DREAMS」に分かれて、7回制で対戦。福岡県出身で、元福岡ソフトバンクホークスの二保旭投手も出場しました。
2009年にホークスの育成選手としてプロキャリアをスタートさせた二保投手は、トレードで移籍した阪神タイガースで2年半、千葉ロッテマリーンズで1年、計16年間のプロ野球生活に昨年、終止符を打ちました。

「ホームまで届くかどうか」 の中で見せた”漢気”
「THE LAST GAME 2025」の約1か月前、主催者から出場オファーが届きました。二保投手は「今日見て貰って分かるように、ホームベースまで届くかどうかも分からない中でしたが、『地元開催だから、是非出て欲しい』という話を頂いたので、『僕でよければ』という感じで出場を決めました」と振り返ります。
連絡を受けてから、久し振りにキャッチボールをしてみると、「最初ホームまで届かなくて、どうしようかと思いました」と不安がある中での調整でした。
引退して1年で、体重は17~18キロも落ちました。運動やトレーニングもしていなかったといい、「しばらく使っていなかった筋肉をいきなり使ったら、やっぱり。トレーニングもしていないし、これ以上やったら壊れるなっていうくらいのレベルでした」と体力も筋肉量も低下した中での調整は1イニングとはいえ、大変なものでした。
「投げようと思えば投げられるけど、やっぱりどこにいくかわからない。身体も壊れそうだし、なんとか試合になるようにと思ってやりました。ストライク入らないと野球にならないし、何とか入れないとって頑張りました」
二保投手の最後のマウンドは、観ている側も少し心配になるようなシーンも。出番前のブルペン投球の段階から、1球投げるごとに肩を抑えて顔をしかめていました。

それでも、マウンドに立つと、ゆっくりと丁寧にキャッチャーミットに向かって投球。ストライクを入れることを最優先に、最速は93キロでした。「頼むから前に飛ばしてくれー」という心の叫びと共に、力を振り絞りました。
「肩痛い、もう本当に痛い」
試合後もそうこぼした二保投手でしたが、そこまでしてでもマウンドに立ち、1回無失点に抑えた姿は、最後まで二保投手らしい“漢気”でした。
ボロボロになりながらも、ファイティングポーズを崩さずにマウンドで腕を振った現役時代のように、肩の痛みが強くても最後までやり切る──。これが二保投手だなと、しみじみ記憶が蘇りました。


「野球やってきて良かった」噛み締めた幸せ
ホークス時代から応援するファンも多く駆け付けた一戦。母校の九州国際大付属高校の吹奏楽部・チアリーディング部・応援団もスタンドから盛り上げてくれました。
「最後、名前呼んで貰ったり、歓声が湧いた時は嬉しかったし、野球やってきて良かったなと思いました。楽しかったですよ」
力尽きたところで噛み締めた幸せがありました。

「真砂(勇介)はホークスでチームメイトだったし、一緒に『野球おもろいなー』とか言いながらやってましたよ。試合前は『気楽にいこう』とか言ってたのに、試合が始まると緊張感出てきて、やっぱりみんな野球人なんやなって思いましたね」とプロ野球の舞台で共に戦ってきた仲間たちの姿にも胸が熱くなる時間だったようです。
「久々に野球やって楽しかった。最後、両親にも野球する姿を見せられて良かったなと、今になって思いますね」と笑顔で振り返った二保投手。
未来に繋がるかけがえのない時間を噛み締めました。

